吉井勇

再び平戸へ 山鹿光世氏と歌人吉井勇

平戸に行ってきました。今年2回目です。 1回目の4月に訪れた時のブログに、ワンゲルの後輩Y島君からコメントをもらっていました。 その中に「山鹿市長の祖先は、忠臣蔵でも有名な山鹿素行の山鹿兵法の伝承者」と書いてあったことが今回の平戸行きの理由…

長崎探訪⑨ 丸山「五足の靴」の足跡を辿るなかで

「五足の靴」の足跡を辿って長崎の街を歩いています。 今回は「五人連れ」が宿泊した上野屋旅館周辺と丸山を訪ねました。 眼鏡橋 長崎に多き石橋また今日もわたりてゆきぬ支那寺を見に(歌集「旅塵」) この石橋をかけたのは支那寺興福寺の2代住持黙子如定…

再び崇福寺へ 長崎探訪⑧

吉井勇が若き日に旅した「五足の靴」の足跡を辿るなかで崇福寺を訪ねたのですが、日が経つにつれ、無性にもう一度行きたくなったので昨日、再び崇福寺を訪ねました。 1回目に見落としていたところなど新たな発見もありました。また、売店の方とお話ができ、…

長崎探訪⑦ 崇福寺 「五足の靴」の足跡を辿るなかで

吉井勇が若き日に、新詩社の仲間五人と九州を旅した「五足の靴」の足跡を辿っています。 今回は崇福寺です。 崇福寺は長崎にある唐寺の中で吉井勇が最も愛した寺らしく、崇福寺を詠んだ歌の多さがそのことを物語っています。 ただし、吉井が崇福寺をゆっくり…

長崎探訪⑥ あか寺(興福寺) 「五足の靴」の足跡を辿るなかで

吉井勇が若き日に、新詩社の仲間五人と九州を旅した「五足の靴」の足跡を辿っています。 今回は「あか寺」とも呼ばれる興福寺です。 山門(長崎で一番大きい門) 赤く塗られています。唐寺の特徴ですが、日本最古の黄檗宗の寺院だそうです。 興福寺について …

長崎探訪⑤ 諏訪神社 「五足の靴」の足跡を辿るなかで

吉井勇が若き日に、新詩社の仲間五人と九州を旅した「五足の靴」の足跡を辿っています。 今回は諏訪神社です。 諏訪神社(地元の人は「おすわさん」と呼んでいます) 明治40年、「五足の靴」の一行は諏訪神社を訪ねていますが、そこから見える長崎の眺望に…

長崎探訪④ 筑後通り 「五足の靴」の足跡を辿るなかで

吉井勇が若き日に、新詩社の仲間五人と九州を旅した「五足の靴」の足跡を辿っています。 紀行文「五足の靴」には長崎の記述がすっぽりと抜けているので、消えた足跡を辿るのは簡単ではありません。 そこで、このことについて研究された鶴田文史氏の著書「西…

長崎探訪③ 浦上天主堂 「五足の靴」の足跡を辿るなかで

吉井勇が若き日に、新詩社の仲間五人と九州を旅した「五足の靴」の足跡を辿っています。 紀行文「五足の靴」には長崎の記述がすっぽりと抜けているので、消えた足跡を辿るのは簡単ではありません。 そこで手掛かりになるのは吉井勇の歌や当時のことを述懐し…

長崎探訪② 黄檗展 「五足の靴」の足跡を辿るなかで

長崎探訪3日目、長崎歴史文化博物館で催されていた「長崎の黄檗」という企画展を見に行きました。 「黄檗」といえば日本史で出てきた「黄檗宗」という名前ぐらいしか知りませんでしたが、吉井勇を調べる中で、黄檗宗の僧侶の名前やお寺が出てくるのでかなり…

長崎探訪① 稲佐 「五足の靴」の足跡を辿るなかで

実家の改修が終わったころ、山は纏っていた紅葉葉を散らしていました。 秋山への未練がなくなった今、中断していた吉井勇研究に心置きなく時間が使えるようになりました。その手始めが、吉井勇が若き日に新詩社の仲間五人と九州を旅した「五足の靴」の足跡を…

ついに解決、吉井勇と平戸の関係

久しぶりに吉井勇についてです。 堅苦しくて面白くない話なので、興味がない方はどうぞスルーしてください。 私にとって吉井勇研究はセカンドライフの3本柱の一つですので、これからも随時アップしていきます。 前置きはさておき、この夏の猛暑が、私がずう…

古本の消臭

先日、吉井勇全集を買いました。 包みをほどいて、思ったより本の状態がよくて喜んでいたのですが… 古本独特の匂い、いや、それ以上の、強烈なカビの匂いが染みついていました。 部屋中にその匂いが充満し、家族から苦情が出ます。 そこで、消臭を試みました…

平戸 「五足の靴」の足跡と歌碑について

平戸を旅したのは4/19~20でしたで、もう1週間前のことになります。 旅の目的は3つありました。 ①志々伎山に登ること ②川内峠の歌碑と吉井勇との関係を調べること ③「五足の靴」の足跡をたどること 明治40年、吉井勇が与謝野寛等と九州旅行をしたときに…

吉井勇と平戸の関係

平戸の川内峠には立派な吉井勇の歌碑が建っています。 山きよく海うるわしとたたえつつ旅人われや平戸よくみむ 碑のあまりの大きさに「空前絶後」と、吉井は絶賛したそうです。 その大きさが分かる別の写真 (人間が小さく見えます) 碑の説明板には これらの…

「湯守の宿にひと夜寝て…」 吉井勇の歌碑を訪ねて

雲仙の湯守の宿にひと夜寝て歌など思う旅つかれかも 吉井勇 「湯守の宿」のロビーには、ホテルに改名する前の「湯元旅館」の看板が大切に飾ってありました。 フロントの方の説明では、この看板も吉井勇の字だそうです。 「湯守の宿」は、今は「湯元ホテル」…

「雲仙焼の陶ものの…」 吉井勇の歌碑を訪ねて

以前もらっていた「雲仙のおさんぽマップ」です。 湯元ホテルに吉井勇の歌碑があるのは知っていましたが、地図を見ていたつれ合いが「2つあるよ」と言うのです。 そんなバカなと半信半疑で見てみると本当に2つ載っています。 先日、この「雲仙おさんぽマッ…

これは驚いた… 文明の利器・スマホ

つい数ヶ月前までスマホ不要論者だったのですが、今ではその便利さに驚くばかりです。 吉井勇の本を読んでいて、分からないことがあったらスマホが瞬時に解決してくれるので感激のし通しです。 例えば漢字です。今読んでいるのは昭和17年発行の「相聞居随…

長崎県にある吉井勇の歌碑

長崎県内にある吉井勇の歌碑は8基と思っていました。 これまでに7基訪ねていたので、先日の平戸行きで県内の吉井勇歌碑巡りは終わりだと思っていました。 ところが、9基あると書かれた書籍を見つけました。 「島内八郎めもあーる」という本です。 昭和5…

石に刻まれた「黒龍」という名  吉井勇の歌碑

黒龍といふ名を石に刻ませて父をこそおもへ母をこそおもへ 吉井勇 長崎市内にあるというこの歌碑の存在は知っていたが、長崎だったらいつでも行けるという気安さから後回しにしていた。 時間ができたので、さあ訪ねようと思い立ったが場所が分からない。 ネ…

本蓮寺に移されていた吉井勇の歌碑 「とこしへに水清かれと祈らまし…」

「長崎探訪5 浦上水源地」の続編ということになる。 まったくの偶然だが、「孫文・梅屋庄吉と 明治大正長崎事情1」という別の資料を調べていて、浦上水源地に建てられた吉井勇の歌碑は別の場所に移されたことが分かった。その資料である。 「勇は道ノ尾温泉…

蛍塚  「水きよき本明川の蛍にも…」

3月末をもって定年退職しました。 4月からは、再任用の短時間勤務をしていますが、自由に使える時間が大幅に増え夢のようです。そんな中、山登りもですが、10年かけて吉井勇について研究をしたいと思っています。 まとまった時間がとれたとき、吉井勇の…

長崎探訪5 浦上水源地

浦上水源地にも吉井勇の歌碑があるらしい。 ネットで検索しても詳細は分からない。 ただ、吉井勇の歌が出ていた。 とこしへに水清かれと祈らまし蓬莱池を見はるかしつゝ 浦上水源地に行ってみれば何とかなるだろうと安易な考えで稲佐山を後に、浦上水源地へ…

長崎探訪4 「海もはろばろ山もはろばろ」稲佐山からの眺め

吉井勇の歌碑 1956(昭和31)年 3月 歌碑建立場所の下見 1956(昭和31)年 12月 除幕式 ロープウェイが完成 稲佐山が新しい観光名所に この歌碑が建ったのは64年前ということになる。 除幕式に参加した吉井は「雄大な五島灘をバックに立つ歌碑に非常に…

長崎探訪3 稲佐山へ

聖福寺を後に稲佐山へと向かう。 稲佐山は35年ぶりだが、あの時は岩屋山から稲佐山までの縦走だった。 今回はもちろん車だ。千畳敷に車を停め、そこから歩いたのだがなんとも変な道だった。 千畳敷(中腹駐車場)からスロープカーが出ているが、その下の人…

長崎探訪2 「じゃがたらお春」の碑

じゃがたらお春の碑 (碑には「志やがたらお春」と刻まれている) 「イタリア人の父と日本人の母の間に生まれた『じゃがたらお春』は鎖国令によって寛永16年(1639) ジャガタラ(現在のインドネシアの首都ジャカルタ )に追放された 。そのお春の境遇に心打た…

長崎探訪1 聖福寺

先週のこと、3連休の中日に長崎市内を探訪した。 多良岳のマンサクも頭をよぎったが、長崎への思いが勝った。 目的地は、聖福寺、稲佐山、浦上水源地3か所だった。 聖福寺は街中にある。車を近くの長崎市歴史文化博物館に停めて歩いていくことにした。 そ…

「天草の大江の宿…」へ

新年1月4日のことである。 鹿児島の用事に、今回は天草経由で行くことにした。 「白秋とともに泊まりし天草の大江の宿は伴天連の宿」と、吉井勇が詠んだ大江の天主堂を訪ねたかったからだ。 まず、長崎県の島原半島南端にある口之津港から熊本県の天草にあ…

迎仙閣と吉井勇

11月24日 雨 天気予報を何度も見るも日中は雨の予報 雨の中を行くのか自問したが、今日行かなければ次は1年後となるので傘をさしてでも見学することにした。 今、吉井勇について調べているが、ここは吉井勇の歌碑が建っていることが分かったからだ。 目…

吉井勇が詠んだ英彦山

吉井勇が英彦山を訪ねたのは1936年(昭和11年)のことである。この年、吉井は141日にも及ぶ大歌行脚の旅に出ている。歌行脚といえば聞こえはいいが、その実傷心旅行であった。記録には、6月15日に小倉に着き「戸畑、八幡に赴き、更にまた會田氏等…

「いとど待たれぬる」桜の開花

3/25のことです。 桜の開花宣言がなされたので一気に春めくかと思っていたら、この日は冷たい雨となりました。 ここのソメイヨシノはまだ1分咲きといった感じで満開になるのはまだまだ先のようです。 ベトナムで学生に日本語や日本のことを教えているT…